たまにジャズ以外のミュージシャンと話をすると、ジャズは難しいとか敷居が高いとか、そういうことをいわれることがあります。

私自身はあまりそういうことを思ったことはありません。どの音楽にも楽器にも、達成が難しいところがあります。実際、すぐに達成できるようなことはすぐに飽きると思うので、長年真剣に取り組む価値のある音楽は、それだけ難しいのだと思います。

ジャズを難しいものと思わせる理由の1つが、ジャズ理論の存在だと思います。ジャズには、いろいろな理論的な用語がたくさんありますし、またメジャー・スケールやマイナー・スケール以外にもさまざまなスケールの名前が出てきます。そういうことを、完璧ではないにしても相当程度理解して置かなければ、ジャズは演奏できないどころか演奏してはいけないものだというような誤解があるのかもしれません。

しかし、私は決してそのようなものではありません。ジャズはカジュアルなものだし、理論はあくまでも感覚の延長線上にあると考えるからです。よって、ジャズ理論は必須ではないとさえいっても決して極論ではないと思います。

ジャズに限らず、あらゆる音楽や表現は試行錯誤の連続です。

こうやったら面白いのではないか、こうしたら効果的に伝わるのではないか、このように表現したら調和するのではないか、というように、様々なことを試し、多くの失敗のなかから使えそうなアイディアや技法を編み出してきたといえるでしょう。

ただ、音楽で使われる音は、物理の法則に基づいています。例えば、「ド・ミ・ソ」で知られるメジャー・コード(メジャー・トライアド)は、振動数の比がおよそ 4 : 5 : 6 になっています。つまり、振動数が単純な整数比になっていれば、よくハモるという法則があります。

ピアノの鍵盤やギターのフレットから、試行錯誤を繰り返して、よくハモるコードを1から探して曲作りしては非常に効率が悪いといえるでしょう。コードだけではなく、メロディやリズムなどのさまざまな要素にそれぞれ法則のようなものがあり、それらを体系としてまとめたものが音楽理論といえます。つまり、理論は先人たちの試行錯誤をまとめたものといえます。

先人たちの試行錯誤をすべて1から行っていては人生が何回あっても足りないでしょう。これはレッスンを受けて楽器の奏法を学ぶことにもあてはまるのですが、先人たちの知恵を効率よくまとめたセオリーやメソッドで学ぶ意義は、無駄な試行錯誤から開放されて、より自分自身のオリジナリティのある表現に資源を集中するためにあるといってよいでしょう。

先日も、あるベテランのプレイヤーと共演しましたが、「俺は理論なんてほとんどわからないから」といってとても素晴らしい演奏をされていました。多少の謙遜があったとしても、理論は必須ではありません。

ただ、誤解をしていけないのは、理論が必須でなかったとしても、それを補うだけの能力が必要だということです。理論は、先人たちの試行錯誤、すなわち感覚や感性を体系化したものです。したがって、理論を補うだけの能力とは、例えば、人並み外れた音感やリズム感ということになるでしょう。

例えば、耳にしたメロディをすぐに自分の楽器で表現できること、なにかのリズムをすぐに自分の楽器や口三味線で真似ができること、耳にしたコードやコード進行に対してマッチするフレーズがすぐに浮かんで楽器で表現できることがあげられます。理論的な理解をしなくても十分なパフォーマンスができる人は、先天的か後天的かはともかく、これらの能力に秀でた人といえるでしょう。

逆の考えをしてみましょう。理論とは、先人たちの試行錯誤を体系化したものです。ですから、すべて学ばなくても演奏できないと考えるのではなく、すでに持っている自身の感覚や感性を更に拡張することを考えるのです。

理論は守らなくてはいけない規則と考えるのではなく、自分の表現の可能性を広げる手段だと考えるほうが、私自身の経験にも即していると思います。

理論を学ぶ過程では、鍵盤で音を確認したり、音源を聴き直して理解を深めたりと、聴覚を使うので、これはずいぶんとよいイヤー・トレーニングになります。そうすることで、以前聴き込んだレコードを聞き返したときにまったく別の聴こえ方がしたり、あるいはリハーサルや本番での音の聴こえ方が変わってきます。

これは、理論を学んだ成果もあるでしょうし、その過程でケース・スタディをした効果もあるでしょう。いずれにしても、理論の学習と検討は、楽器の練習とはまた別の方法で新しい境地にたどり着くことができる可能性を秘めていると思います。

私は、規則は破るためにあるくらいに考えています。しかし、規則を破るためには規則を知らなくてはいけないというジレンマがあることも事実です。もちろん、すでに申し上げたようにジャズの理論を知らなくてはいけないということはないのですが、理論を学び、それから外れることで意外な効果を表現に取り組むことができると思います。ケース・スタディを積めば、そのような事例をたまに見つけることができます。

私は、ジャズを演奏するためには、セオリー(理論)よりも、マナー(作法)のほうがはるかに重要だと思います。「作法」ではなく、「お作法」というと皮肉の意味が込められてしまうと思いますが、私のいいたいのはそういうことではありません。これについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。