ベース(コントラバス)の習得で重要なことのひとつに運指があります。
例えば、ジャズのソロのとき、フレーズが頭のなかできちんと鳴り響いているにもかかわらず、運指がうまくいかずに途中で演奏が止まってしまうことがあります。あるいは、あるいは初見で楽譜どおりに演奏しなくてはならないとき、楽譜が読めているにもかかわらず運指が原因で弾けないということもあるでしょう。
このような現象を、私は「運指の手詰まり」と呼んでいるのですが、この原因と対策について考えてみたいと思います。
「運指の手詰まり」の原因
まず、運指の手詰まりはどの楽器にも起こることだとは思うのですが、特に悩みを抱えているのは鍵盤楽器や弦楽器奏者だと思われます。
おそらく、管楽器にも替え指というものはあるようですが、それでも、それぞれのキーに対してどの指を使って押さえるかということに対して判断を求められることはまずありえないことでしょう。
ところが、ピアノのような鍵盤楽器の場合は、例えば中央のCの鍵盤は常に人差し指で押さえるといったルールやメソッドはありません。フレーズによっては中指で押さえたり親指を使ったりということが起こります。つまりキー(鍵盤)と指が対応していないのです。
弦楽器についても同様です。コントラバスの場合、開放弦から半音上の「フレット」は、原則として第1指(人差し指)で押さえることは決まっていますし、そのさらに半音上の「フレット」を押さえるのは第1指か第2指のどちらか2択です。しかし、それ以外については、ピアノと同様、どの指で押さえるかが決まっていません。
さらにコントラバス奏者にとって最悪なのは、人間の手に対して指板が大きすぎるということです。低音側のポジションの同一弦では、第1指と第4指(小指)でわずか半音しかカバーできません。したがって、開放弦を使わなければ4本の弦を駆使しても同じポジションでスケールの断片(ドレミ、ミファソなど)さえ演奏することができないのです。
実際、異名同音を1つと数えて12あるメジャー・スケールのうち、ポジション移動なしに演奏できるのはGとFとB♭の3つに限られます。このような弦楽器はおそらくコントラバスくらいではないでしょうか。
つまり、コントラバスは、左手の1つのポジションでカバーできる音域が狭く、またスケールの一部が欠落している状態になっているというハンディキャップがあることから、ほかの弦楽器と比べて頻繁にポジション移動を強いられます。したがって、コントラバス奏者にとって「運指の手詰まり」を防ぐためには、ほかの弦楽器奏者に増して運指法を習得することが重要だということになります。
運指法の習得のために必要なこと
それでは「運指の手詰まり」を防ぐためには何をすべきでしょうか。
演奏を一度始めたら、終わりまで一時停止するわけにはいけません。だから、演奏中にいちいち運指を考えたり判断したりすることはできません。たとえ運指を考える速度を向上させたとしても、演奏中には音楽の流れを掴んだり周りの音を聴いたりスウィングやグルーヴ感を出したり、何よりも適切な表現をしたりとほかにも脳のリソースが取られます。脳のリソースを運指に全振りしたのではアンサンブルに貢献してよいパフォーマンスをすることはできないでしょう。
したがって、重要なことは、運指の直観力(直感力ではありません)を高めることです。究極的には運指をほとんど意識しなくても左手がひとりでに最適な運指を見つけて演奏できるようになることが目標といえるでしょう。そうすることで、運指の悩みから開放されて自由になるので、そのぶん音楽に集中できるようになるのです。
そのためにはどうしたらよいのでしょうか。それは、日頃から合理的で一貫性のある運指でトレーニングして、音楽的な文脈と運指の関係を脳と身体に学習させることです。身体的な動きや流れを覚えると言い換えてもよいでしょう。つまり、運指法の習得には単に楽譜に指番号をつけることができる能力を高めるだけでは達成されず、必ず身体的訓練(つまり楽器の練習を繰り返す)ことが必要だということです。
運指に必要な要素
それでは、適切な運指とは何でしょうか。
1つは合理性です。
例えば、ポジション移動の回数が多いよりは少ないほうがよいでしょう。ポジションを移動する距離の総量も大きいよりは小さいほうがよいでしょう。同じ弦と同じ指でのポジション移動は、摩擦の大きい第4指(つまり第1〜4指の4本)で行うよりも第2指(第1・2指)や第1指(のみ)などより摩擦の小さな状態で行うべきでしょう。また、ポジション移動と移弦が同時に行わなければならないような局面では、できるだけミスが生じにくい運指を選択することも重要です。
2つ目は一貫性です。
同じ条件のよく似たフレーズがあって、一方ではこのように演奏したのに他方では別の運指をしたのでは一貫性がありません。このような運指で練習を続けていると、直観力を磨く弊害になります。つまり迷いの原因になるからです。
一貫性のある運指とは、キーや譜割りにかかわらず、ほかの条件が同じであれば原則として常に同じ運指を選択することがいえます。また、フレーズを仮に後ろから前に演奏したときになぜか運指(指番号)が変わってしまったのであれば、それは一貫性のある運指とはいえないでしょう。私が作成したスケールやインターバルのエクササイズは、原則として回文のようにできていて、一貫した運指がつけられているのですが、運指の直観力を磨くためには、底までする必要があると考えています(実際にはそれだけではとても達成できないのですが)。
もちろん、原則には例外があります。
プレイアビリティ(演奏のしやすさ)も無視できませんし、そのためには音楽的な文脈や、メカニカルな動きであればユニット単位で運指を組み立てるといった工夫もときには必要です。よって、1つのフレーズに対して、唯一絶対の運指が1つだけ用意されるべきだとまでは考えません。
それでも、常日頃から運指に対して無頓着で、あまりにも合理性と一貫性に欠ける運指で演奏していると、運指の直観力が身につかないばかりか、とっさのときに迷いが生じるといった弊害さえ生む恐れがあると考えます。
運指法を身につけるためには
私は、レッスンでは運指を重視しています。基礎練習では必ず運指法を示すのは当然として、ビッグバンドのパート譜やメロディや採譜したソロなどの「書き譜」に取り組む場面では、必ず最初に運指を決めてからでないと練習させません。なぜなら、一貫性のない運指のままで練習しても弊害が多いばかりか、結局やり直すことになって二度手間だからです。
運指を身につけるためには、クラシックの教則本や独奏曲に取り組むのも1つの方法です。しかし、教則本も著者や編者ごとに運指法に少しずつ違いがあるので、それを正しく理解した上で、場合によっては変えることも必要かもしれません。私の場合、まずは指示通りの運指でしばらく取り組んでみた上で判断するようにしています。なぜなら、一定期間取り組むことで始めて運指の意図が理解できることがあるからです。よって、運指を変えるとしたら、よほどの事情がない限り、その教則本を1冊最後までマスターしたあとでも遅くはないと思います。運指法の習得は生涯を通して行うことですから、そのくらいのスパンでも大丈夫だと思います。
一番よいのは、誰かの指導を受けることだと思います。私自身のレッスンでいえば、初心者であれば私がすべて運指を示したものに取り組んでもらうこともありますが、ある程度の経験者であれば、まず自力で運指をつけてもらって、それを添削します。場合によっては、本人の考えを尊重して元に戻すこともありますが、たいていは納得されます。
より自由に演奏するためには、今までの培った運指を土台に、さらに運指法を拡張していくことも大切です。例えば、中域のポジション以上ではG弦ばかり演奏してしまいがちなベーシストは少なくないと思いますが、ネックの付け根あたりのポジションにおけるD弦やA弦が使えれば機動力も高まります。また、このあたりのポジションはどの弦でも低音のポジションにはない魅力的な音色を持っています。これを表現に生かさない手はありません。
運指には迷いがないということも重要なので、最初は低域の2つのポジションを「ホーム・ポジション」として強化することが必要なのですが、親指ポジションにおけるさまざまなインターバルをマスターしたあたりから、今度はネックの付け根あたりのポジションを強化するエクササイズに取り組んでいただくこともあります。目安として、運指のトレーニングに1000〜2000時間くらい取り組んだあたりでしょうか(もう少しかかるかもしれません)。ただ、それより前であっても、いわゆる「書き譜」の内容によってはそのあたりも視野に運指を提案することもあります。ビッグバンドのパート譜にはそのような運指を避けて通れないようなものも少なくありません。
様々な手元の譜面に対して合理的な運指を決めて練習することも重要です。AIが学習することをイメージしていただければよいと思いますが、直観力を磨くためには、その背景になる膨大な譜面に取り組むことが不可欠です。ただ、合理性や一貫性に欠いたまま学習を続けても、適切な運指で取り組んだ場合と比べて、直観力がほとんど磨かれないことは想像に難くないでしょう。そのような運指の「癖」を直すにはさらに膨大な時間がかかるので、それくらいなら最初から適切な運指をきちんと学ぶほうがタイムパフォーマンスにも優れます。
まとめ
運指法を身につけるには、意識的に教則本に取り組むだけでなく、様々な手元の譜面に対して合理的な運指を決めて練習すること、そして、できれば信頼できるベーシストの意見を訊くことも有効だと考えます。「運指の手詰まり」を解消し、より自由な演奏を実現するために、お互い頑張りたいものです。