ベース・コース、アンサンブル・コース、ジャズ・セオリー・コースを問わず、私のレッスンではイヤー・トレーニング、すなわち耳の訓練をとても大切にしています。
耳の訓練の重要性と意義
「味音痴」という言葉があります。 別に、食べる側が味音痴なのは全然構わないのですが、問題は料理の作り手が味音痴な場合です。
もしプロの料理人が味音痴だったらどうでしょうか。 提供される味がなんだかぼんやりしているとか、味付けが濃いとか薄いとか、何かおかしなことになるのではないでしょうか。
プロの料理人には、調理の技術はもちろん、素材や調味料についての知識や応用力のような発想も必要だと思いますが、味覚がいい加減ではどんなに包丁さばきが的確でも美味しい料理は期待できないと思います。
プロの料理人に味覚とは、味見のときに発揮されるだけでなく、例えばどこかで料理を食べたときに、使っている調味料の種類や調理の手順がある程度理解できるということだと思います。
ジャズを演奏する上でも、同様のことがいえます。 料理人に「よい舌」が求められるように、演奏者には「よい耳」が求められるのです。
よい耳とは、絶対音感があるとか、相対音感がよいといった狭い意味での「音感」だけを指すのではありません。
メロディやソロ、あるいはベースラインやコードを正確につかむことのできる「よい耳」のほかにも、 スウィングやグルーヴが適切か否か―もし不適切だとすれば何が原因でどこをどのようにしたら改善するかをきちんと把握することができる「よい耳」、 誰かのソロを聴いたときにアーティキュレーションがどのようになっているかをきちんと聞き分けることのできる「よい耳」、 音楽の流れや方向性を、曲全体あるいはステージ全体の文脈のなかで捉えることのできる総合的な「よい耳」が求められるのです。
いくら包丁さばきを磨いたり、食材についての知識を学んだりしても、味音痴なままでは料理が上達しないのと同様、いくら楽器の演奏技術を向上させたり、音楽理論についての知識を高めたりしても、耳がよくならない限り、よい演奏はできません。
また、ジャズ理論は「座学」かもしれませんが、同時に「実技」であると考えています。 例えば、オルタード・スケールについて理解したとしても、オルタード・スケールに基づいたソロを耳にしたときにそのことに気づかなければ、あまり意味をなさないといえるでしょう。
どのようにイヤー・トレーニングを行うか
音源(レコード)を聞くことが何よりも有効なイヤー・トレーニング方法です。
ジャズ・アンサンブル・コースでは、課題曲がある場合にその音源(レコード)を一緒に聴きます。 必要に応じて、テンポを落として再生したり、一時停止をしながら何度も聞き返したりすることで、注目すべきところをポイント・アウトする(指し示す)ことができます。 このようにすることで、自分の演奏と理想の演奏との間にあるギャップを正確に捉えることができるので、アンサンブルの改善だけでなく、個人練習の指針づくりに大いに役立ちます。
採譜もイヤー・トレーニングのもっとも効果的な方法のひとつです。
ベース・コースであればベース・ラインやベース・ソロを、またジャズ・セオリー・コースであれば、コード進行のほか、イントロやエンディング、管楽器のハーモニーなどを採譜する課題に取り組むことで、より実践的な理解が深まると同時に、よいイヤー・トレーニングになります。
採譜とは、いわゆる「耳コピー」のことですが、苦手意識を持っている方も少なくないでしょう。 特に最初のうちは、わずか1-2小節採譜するだけでも1時間、2時間と時間がかかる場合もあるでしょう。 また、何回聞き返しても分からずに挫折したという話もききます。
私のレッスンでは、到達度に応じて、穴埋め式や選択式にするなど、うんとハードルを下げることで、時間的、心理的負担を解消し、そして採譜の苦手意識を克服していただく工夫をしています。
イヤー・トレーニングの効果と重要性
私自身、採譜はとても苦手でした。 先輩からコピーの重要性は聞かされていたにもかかわらず、楽器を始めてから最初の数年間はほとんど採譜したことがなかったといえるでしょう。
採譜はとても手間がかかることですが、そこから得られる内容は、ほかの何にも代えがたいものです。 最近は、ソロやコンピングのコピー譜もネット上で簡単に手に入る時代ですが、誤りも多く、また、それではイヤー・トレーニングの効果がほとんどないので、いつまでも「味音痴」な状態のままです。
ジャズのレパートリーが増えていくこと、難しい曲ができることから、とても充実感を得られることは事実です。 しかし、ジャズのアンサンブルの本当の醍醐味は、メンバーどうしの音のコミュニケーションにあると考えます。 私は、ベーシストですが、私のベースラインに対してソロイストやピアニストが反応してくれることとても嬉しいです。 また、ソロイストやピアニスト、あるいはドラマーのハーモニックあるいはリズミックなサジェスチョンに対してきちんと反応できたときもとても喜びを感じます。
イヤー・トレーニングは、楽器の習得や、新しい理論的な概念を覚えることと比べると、労力の割に即効性がないトレーニングといえるかもしれません。 取り組みの成果を実感しにくいだけでなく、時間もかかります。 しかし、だからこそ、一日も早くイヤー・トレーニングに着手し、また少しずつでも着々と積み重ねることが重要だともいえます。
イヤー・トレーニングの中心的な手段のひとつである採譜ですが、これは自分で採譜した譜面を誰かにチェックしてもらうことが極めて重要です。 自分で分かったつもりでいても、勘違いしていたということは少なからずあるものです(私自身、わずか2-3年前に採譜した楽譜の誤りに気づくことは日常茶飯事です)。
採譜して間違っていた箇所というのは実は宝の山です。 コードにしてもフレーズにしても、紛らわしくて間違いやすい典型例というものはいくつかあるものですが、これに気づくことで、耳の「精度」が一段階あがるのです。 演奏中の「聞こえ方が変わった」と実感できることがあるとすれば、この似て非なるコードやリズムやフレーズについてきちんと認識できた直後が極めて多いと感じています。 採譜による学習は、きちんとチェックや評価を受けて初めて完結するものだと私は考えています。